東日本大震災から6年 被災者に”幽霊"が見える本当の理由



引用
学生たちが聞いたのは、どれも具体的な話だった。乗車していた30代の女性が「私は死んだのですか?」と言うとそのまま姿を消したという体験

「そういう話はあって不思議じゃないと思う。"家に帰りたい"という気持ちがあって出てきたのかなと。怖いとは感じない」

「こうちゃん、このおもちゃ動かしてって」と言うと、おもちゃが動く音がしたという。また、家族での夕食時にも同じような出来事が。「こっちに来て食べなって言った瞬間、音がした。家族みんなで、こうちゃんだねと」

「窓の外に、こっちを見て頭を下げているご夫婦がいた。よく見ると、担当していたエリアのお客様で、ぼーっとした感じではなく、本当に"人"っていう感じだった。"助かった?"のみたいな感じで聞いたら、"うんうん"って、二人で頭を下げて去っていった。地域全体が津波被害にあったのに、あの人達助かったんだ、近くに居たんだ、って受け止めていたんですけど、実際はお亡くなりになっていたので…」

被災者の声聴く和尚「幽霊が見えて当然。6年経っても心は行ったり来たり」

『津波で一階まで浸水してきたので、2歳半の子どもをだっこして二階に上がった。子どもは"お母さん苦しい苦しい"ってずっと叫んでいた。そのうちに壊れた天井から引っ張り上げられて"ああ助かった"とホッとしていたんだけど、腕の中に子どもはもういなかった』
"子どもが死んだのは私が悪い母親だから"と自ら責め続け、苦しんでいた女性の元へ金田和尚はすぐに駆けつけた。



引用
時間も深夜だったので、とても不審に思い、「お嬢さん、お母さんとお父さんは?」と尋ねると「ひとりぼっちなの」と女の子は返答をしてきたとのこと。確かに会話をし、女の子が降りるときも手を取ってあげて触れたのに、突如消えるようにスーっと姿を消した
(新曜社「呼び覚まされる霊性の震災学」より)





無いと思っていたら「スー」と現れた(笑い)



見えないと思っていたら「スー」と現れた(笑い)







引用
「突然、若い女性が現れたのである。津波の翌日までどこにいたのか、すっかり濡れていた。(中略)本堂から出てきた女性たちはタオルなどを持ってきて、その女性にかけた。女性はいきなり泣き出すと、すぐに立ち上がった。『子供たちが……連れてきます』そのまま階段のほうに向かうのだ」(同書より)

 そのまま女性は姿をくらませてしまった。見張り番の若い男が後を追うも、完全に見失ってしまったのである。しかしその夜、彼女は再び現れたという。

「交代した見張り番が、腰を抜かすように本堂の中に入ってきた。『あ、あの、昼の女性が……』『どうした』昼にお盆を持って飛び出した女性が声をかけた『子供を二人連れて来て……』それを聞いて女性が飛び出し、続いて本殿にいた者も、みな境内に出て行った。(中略)階段を昇り切った所に、乳飲み子と三歳くらいの子供のご遺体が、きれいに並んで横たわっていたのである」(同書より)

 見張りが言うには、女性が子供の手を引き、赤ん坊を抱いて石段を上がってきて、一礼したと思うと姿が消えてしまったということである。子供だけでも助けたかった母の強い思いは、死してなお消えることがなかったのだろう。

------------

そしてその思いは時として、今を生きる人へ及んでしまうようで、復興のボランティアをしていたとある女性が恐ろしい体験をしている。彼女は琴美さんという女性と連日、震災にあった家の復旧作業にあたっていた。そんなある夏の夜のことである。

「突然、琴美さんが胸を押さえて苦しみだしたのです。心臓発作かと思うような痛がりようで、私など、どうしていいかわかりません。慌てて起きようとしたのですが、なぜか動けないのです。私は金縛りにあったようでした。(中略)その琴美さんが突然起き上がり、頭をかきむしって叫びだしたのです。『苦しい……苦しい……』地の底から響いてくるような声、というよりは音でした」(同書より)

 動けなかった彼女に代わって介抱していた周りの人もおののいたが、次の言葉にさらに驚くこととなる。

「『ここはどこだ……まだ水の中にいるのか』普段の琴美さんからは似ても似つかない低い声が、体育館の中に響いたのです。
『俺は、どこにいるんだ。家に帰らなければならない。誰か帰してくれ。町がなくなってしまった。私の家はどこだ?』」(同書より)


 その後、金縛りが解けた彼女が琴美さんに抱きつき、「琴美さん、戻ってきて」と叫ぶと琴美さんの力が抜けそのまま眠ったという。これは震災の犠牲者が、人に「憑依」したと思われる話だ。

 帰るところを失いさまよう被災者の魂が安寧を得るためにも、帰るべき場所の復興した新しい姿をみせなくてはならない。そういった意味でも復興を急ぐことは、亡くなった人々への供養になると、宇田川氏は書き記している。

----------
客観的なデータや数字も大事だが、震災にあった人々の内面に何が起きているのかを現象として知りたいという人は、本書がその助けとなることは間違いない










相当霊験あらたかな法力の供養が望まれる

いい加減な気持ちでアイスクリームを食べながら脳天気な若者が被災地見学に行って帰ってきたらその晩奇妙に「死ねこのやろみんな死ね」とか言い出したのを見て嫁が離婚しそうになったという話もあった。
坊さんにお経を唱えてもっらたら憑依が取れたと。

いまだに雨が降ったら線量が上がるということが理解できないような人が憑依されやすいと思う。
気をつけたほうがいい。

だから役になりきる役者は憑依されやすいと思う、音楽家はあきらかに肺活量が大きいので吸入被曝が大きい。


スポンサーサイト

テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

福島 避難区域で餓死の疑い 












引用
福島県相馬市の標葉隆三郎医師は、震災発生後、避難区域で見つかった遺体について餓死の疑いが強いと判断しました
 
標葉医師は、遺体はひどくやせ細り、ほとんど食べ物を食べず、水も飲んでいないことがうかがえ、震災後、しばらく生存したうえで衰弱していったとみています

震災直後に避難区域で救助活動に当たっていた複数の消防団員は、避難指示が出て救助活動が中断されるまでの間に助けを求める声を聞いたと証言しています

津波で125人が死亡した福島県浪江町の請戸地区で救助活動に当たっていた浪江町消防団員の高野仁久さんは、震災当日の夜、がれきの中から助けを求める声や、物をたたいて居場所を知らせようとする音を聞いていたということです

高野さんは、応援を求めにいったん役場の詰め所に戻りますが、機材も人員も足りず、大津波警報が引き続き出されていたため、町の判断で救助活動は翌朝に持ち越された
しかし、翌日の朝、原発から10キロ圏内に避難指示が出されたため、救助活動に向かうことができず、住民の避難誘導を優先せざるをえ

これについて高野さんは、「あのとき、『あす助けにくるから待ってろよ』と声をかけてきたのに、結局、救助に行けなかったことを今でも後悔している。原発事故がなければ何人もの命を救うことができたのではないかと無念に思う」と話しています

自宅こたつの中で遺体で見つかった女性の親族の男性は、「おそらく周りで何が起きているのかも分からないまま、1人で何日間も耐え忍んでいたかと思うと、どんなに心細かったか、ことばになりません。今でも、なぜ家族が死ななくてはならなかったのか考えると、原発事故さえなかったらという思いを強くしています。残された遺族としてはせめて家族の死をむだにしないでほしいと願っています」と話しています




みなさんは浪江町民のようになる覚悟はありますか?
馬場町長


浪江町請戸で踊っていたが、あれは鎮魂慰霊の踊りなのか?
まさか豊作祈願などではあるまい
供養はできているのか


テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

「被災者帰れ」分断の福島 県内差別 見えない壁 ~福島・被災者と避難者~ 2018年2月11日

被災者帰れ



福島県いわき市。原発事故で避難した住民と津波被災者が暮らす公営住宅が隣り合う場所
賠償金を受け取り続ける原発避難者とわずかな支援金しか受けられなかった津波被災者の間には

-------------

まあまあだった

テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

<大川小>避難経路、最短ルートと誤解か 行き止まり知らず進んだ可能性






引用
「放射能は測るな」の

村井嘉浩知事は31日の定例記者会見で「一方的にその場にいた教員を断罪するのは納得できない」などと述べた。

 村井知事は会見で「亡くなった教員の遺族の気持ちも斟酌(しんしゃく)しないといけない。








裏山

村井嘉浩知事は31日の定例記者会見で「一方的にその場にいた教員を断罪するのは納得できない」などと述べた

大川小学校 「山にダーッと登っていった子がいたが、教諭の誰かから「戻れ!」と怒られ、連れ戻された」


泣く!!!




テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

<東北沿岸部>震災後、続く地盤隆起 復興工事変更も 宮城県の石巻市鮎川で約30センチ

2016隆起
<東北沿岸部>震災後、続く地盤隆起 復興工事変更も
引用 11/26(日) 9:30配信 毎日

 東日本大震災でいったん沈んだ東北地方太平洋沿岸部の地盤が隆起を続けている。国土地理院の調査では、30センチほど上昇した場所もあり、津波の被災からの復旧を目指す防潮堤の計画を変更したり、岸壁のかさ上げした部分を削り直すなど工事内容を変更したりする事例まで出ている。

 国土地理院が昨年、岩手、宮城、福島など被災地の計573の水準点の標高を測量したところ、震災半年後の2011年10月と比べ、宮城県の石巻市鮎川で約30センチ▽気仙沼市長磯で約24センチ▽岩手県釜石市大町で約17センチなどの隆起がほぼ全ての地点で確認された。震災で急激に動いたプレートの下に対流する岩石などが、水あめのようにゆっくりと流動し、地盤を押し上げているという専門家の指摘もあり、長期間に及ぶ可能性が取りざたされている。

 隆起はさまざまな影響を与えており、隆起が広範囲に及ぶ宮城県では今年3月、沿岸部の防潮堤382カ所の復旧・復興計画のうち、約23%の89カ所で計画を見直す方針を発表した。気仙沼市の神山川では、津波の遡上(そじょう)対策として、575メートルの堤防を計画したが、市内の標高が平均約22センチも上昇したことがわかると、工法が見直された。堤防は計画より約190メートルも短縮され、住民団体が伐採に反対していた桜並木約60本のうち17本が残されることになった。

 石巻市の鮎川漁港では震災後、1メートルほど地盤が沈み、津波被災後の復旧時にかさ上げしたものの、今度は岸壁が想定より約30センチも高くなり、漁業関係者から「荷揚げが難しくなった」などと苦情が相次いだ。宮城県は今年に入り、事業費1億7000万円をかけて隆起分を取り除く「かさ下げ」工事に着手。一部は完成し、地元漁協は「作業効率は上がった」と評価する。

 この工事では、30センチ以上の隆起が確認された場合、新たな災害復旧事業として認定し、国が事業費の3分の2を負担する新制度が利用されたが、水産庁によると具体化したのはこの事例のみだ。状況の変化を受け、事業の途中で工事内容を修正する事例が増えているほか、地域全体が隆起するため、目に見える形で大きな影響を確認しにくいことも背景にあるとみられる。

 約20センチの隆起が確認された岩手県大船渡市の大船渡漁港では、小型船の漁業者が独自に岸壁にはしごを設け、船への乗り下りに利用している。漁師の男性(72)は「春先の干潮時は特に荷揚げが大変だが、再び直すのは手間がかかるし、このままで我慢するしかない」と話していた。【佐藤慶、新井敦】

【関連記事】
<復興の検証>高い防潮堤は「良かったか」 行政に不満の住民も
<自治体不安…>「消防団員の命守る」自動水門、重い維持費
<被災者支援、3年で4億円減額>心のケア、先細り
<避難先で定住進む>地域再生に課題
<巨大地震に備える>地盤情報も加味、被害予想 全国を網羅、初動に生かす

------------

給料からの源泉所得税、復興特別税が無駄にあわと消えていくのが、困る。

地盤工事上げたり下げたり 税金だけは上げたり上げたり

テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

原発で発見 東電社員の2遺体「ずっと水の上に浮いていた」 2017/03/11黙祷および役員訓示




こら、吉田、「これは誰が殺したんですか」地震・津波対策への思い、不明の東電社員2人を遺体で発見 4号機タービン建屋地下


亡くなられた人が多く、忘れられないのも当然で、涙を流すのはいいのだが、肝心な吉田所長や若き東電社員2名のことがまったく出てこなかったのには、

腹が立つ!!!


2017/03/11(土) 福島第一原子力発電所「新事務本館」における黙祷および役員訓示
黙祷

もうこれ以上聞くのはいい 広瀬社長は吉田にも若き東電社員2名にも触れなかった 語らなかった
死んだ人は終わったこととして忘れ去られた
今、石崎とか言うのがごちゃごちゃしゃべっているが、また推進っぽい口調だ


世間から忘れられてしまったことに、また同じ仲間の東電からも見捨てられたことに、哀れで悲しい






言わされていることを慮るほどに、涙が出る😪

母親は「これまで十分すぎるほど親孝行してもらった」。東電に対しては「3年間、社会人として、技術者として育てていただいた。感謝の気持ち」と話した



最重要

「被災者2名から中央制御室に、EHCポンプ室にて漏洩を発見したとの連 絡あり」

無駄死にではなかった、震度6の地震で原発は壊れていたのだ!

若い二人が命に代えて、教えてくれていたのだった




*311追悼の先週は彼らのことが見捨てられていたことを悲しんでここに記録として残しておく

薄情な奴らが多い、まあ、それが世間と言うものだが


テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

大川小学校 「山にダーッと登っていった子がいたが、教諭の誰かから「戻れ!」と怒られ、連れ戻された」

大川小訴訟、14億円賠償命令 津波襲来「予見できた」






そう言った先生たちも一人を残して全員逝った
生き残りの教師一人は逃げ回って出てこない
公開の場で証言するべき義務があるはずなのだが


<大川小津波訴訟>遺族「学校が子どもを守るのは当然…」
引用
亀山紘市長が遺族説明会で「自然災害における宿命」と発言したりし、
遺族が「事後にも傷つけられた」と主張した学校側の対応の責任が問われなかった点にも不満が残る。







言い伝え 津波てんでんこ

「津波警報や避難指示を待たず、直ちに海から離れ、急いで高台や鉄筋コンクリートなど丈夫な建物の2階以上に避難しましょう」と明記してある。
 この市報発行から一〇日後

大川小学校 「山にダーッと登っていった子がいたが、教諭の誰かから「戻れ!」と怒られ、連れ戻された」





子を連れて西へ西へと逃げて行く愚かな母と言うならば言え(俵万智

「爆発警報や避難指示を待たず、直ちに原発から離れ、急いで西日本や鉄筋コンクリートなど丈夫な建物の中に目張りして避難しましょう」
と明記はない この市報発行から

自主避難者 「西日本行き新幹線にダーッと乗っていった親子がいたが、東日本の誰かから「戻れ!」と怒られ、連れ戻された」



土曜の朝からつらくさせたくないが、書く 山にダーッと登っていった子









テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

日本は美しい自然に恵まれていますが、その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。この度の大震災の

遠藤未希2
天皇陛下 東日本大震災追悼式でのおことば(全文)






「親としてはやはり助かってほしかった」

遠藤未希
てっぺんにおっさんがしがみついて遠藤未希さんはいなかった



水素バスは、泡がぶつかる簡易式ジャグジーくらいの意味しかない



最初は水素爆発
水素爆発


3号機も最初は水素爆発
水素爆発2



3号機は水素爆発後の一瞬後に水蒸気爆発
水素爆発3






不安を煽る あおってません あおってる


甲状腺の初期被曝線量をどのように(なぜ)調べ(なかっ)たか?――災害時の科学者・研究者の責任・続(1)
引用

原子力災害対策本部
「安全委員会からより精密な追加検査を求められながら、「地域社会に不安を与える」などの理由で実施に応じなかった」

本人や家族、地域社会に多大な不安といわれなき差別を与える恐れがあるとして追加検査をしないことを決定した」(毎日新聞2012年2月21日)


床次教授は、その後も継続検査の計画を立てていた。
ところが県地域医療課から「環境の数値を測るのはいいが、人を測るのは不安をかき立てるからやめてほしい」と要請された



まとめ

「本人や家族、地域社会に多大な不安といわれなき差別を与える恐れがある」



「その時テレビは逃げた」 NHKよお前もだ!



NHK 「今の原稿、使っちゃいけないんだって」



「メルトダウンじゃないダス」



東電、3日後に公表可能だった




そして、いま?


関電本部長「難局乗り切る」 停止作業の所員200人鼓舞


玉砕はするな、速やかにおうちに帰りましょう 地震には勝てない

ハローワークで待っている みんなと同じだ




追記


子どもたちを守りたい~県境を超えてつながる母親たち
OPTVstaff


2016/03/10 に公開

これ白石さんの声じゃないか?鼻声で風邪ひいているかな?



テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

震災5年・南相馬から 「小野田病院」院長の菊地安徳さんと看護部長の但野圭子さん




春の時期は新しい人が入る時期だが、みんなすぐにやめてしまう

「なんでだろうねえ」

「数日でやめちゃうんだから」



南相馬から視線遠ざけないで(被災地からのメッセージ2 南相馬市の病院から)
引用
スタッフの減少、特に若手スタッフの絶対不足だ。震災で急激に進んだ地域の高齢化が大きく影を落としている

午前の駅前通りは図書館の周りもいまだに人影はまばらだ。時々すれ違う人も高齢者ばかりが目に付く。高齢化率33.6%の街とはこんなものであろうか。甚だ閑散とした景色である。

弁当を買い求める客の中に老人もちらほら。しかし、子供の姿が全く見えないのはどうしたことか。子供達も震災後5年を過ぎてかなりの人数が戻っているはずなのだが、どこか寂しく感じられる。

 時計を朝8時に巻き戻したら、いたいた。駅前からコンビニあたりまで子供たちが大勢いた。自転車で学校へ急ぐ学生服の高校生達。友達と数人でだらだら歩きは別の学校の制服か。朝からコンビニのパンをかじっている。





若い人に期待するのはもう無理だから、引退年寄り看護婦に期待するしかない

超ベテランの力の発揮場だ

活力は、超ベテランが作り出す

それが未来の姿だ





テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

震災4年追悼式 「行かないで」という母に私は

震災4年追悼式

「教訓を忘れることなく子孫に」天皇陛下のおことば全文


「貴重な教訓、無にしない」首相の震災4年追悼式辞全文


「将来の展開が見通せないやりきれなさ」福島代表の言葉


「悲しさを優しさに、悔しさを許す心に」岩手代表の言葉


東日本大震災追悼式の宮城県遺族代表、菅原彩加(さやか)さん(19)=石巻市出身=のことば
引用 朝日 2015年3月11日16時24分

私は東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。

 小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。

 あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。

 しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。

 そんな体験から今日で4年。

 あっという間で、そしてとても長い4年間でした。家族を思って泣いた日は数えきれないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが、今もまだ夢の様です。

 しかし私は震災後、たくさんの「諦めない、人々の姿」を見てきました。震災で甚大な被害を受けたのにもかかわらず、東北にはたくさんの人々の笑顔があります。「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い復興へ向かって頑張る人たちがいます。日本中、世界中から東北復興のために助けの手を差し伸べてくださる人たちがいます。そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなることが出来ます。

 震災で失った物はもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることも無いと思います。しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていける物だと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。

 最後に、東日本大震災に伴い被災地にたくさんの支援をしてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。また、お亡くなりになったたくさんの方々にご冥福をお祈りし追悼の言葉とさせていただきます。

「生きていくことが家族への恩返し」 19歳の遺族代表

------------------

「 しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。」

---------------------------

なんじゃこりゃあああ!!!

(私のことはもういいから、早くお逃げ)

じゃないのか???



阪神大震災で、埋もれて動けず火の手が迫るのを見た親が、

「もういいから早く行け」と言うのを

泣く泣くその場から遠ざかって生きたまま焼け死ぬのを茫然と見ていた息子の話を、

数多く聞いたものとしては、なにかおかしい。


広島長崎原爆でも、

沖縄戦でも

東京大空襲でも


同じような話ばかりを読み聞かされた。


あれは、ウソだったのか?


現実はいざとなると親もさびしくて子を思いやれないのか???


「そんなに言うなら、お前だけ逃げろ、孫は置いていけ、孫はうちの孫だ」と言って、

嫁の自主避難を妨害する年寄り舅姑親たちを思い出す。


とてもしっかりしたお嬢さんで素晴らしいが、心の内を考えると、いたたまれない。



陛下の前だから美談仕立てかと思っていたら、とんでもない真実の追悼文が述べられていたことに、驚いた。


黙とう





追記 ツイート回数が21回であまりにも知らん人が多そうだから、これも再掲


三重の大震災遭遇住民 東北被災者に「もっと自分で考えて」
引用 ※週刊ポスト2011年5月27日号

 1944年12月7日、M7.9の「東南海地震」が発生、紀伊半島東南部に位置する三重県大紀町錦地区は、大津波に呑み込まれて壊滅し、死者は63名に上った。だが、住民たちは津波を避けられる高台ではなく、海辺を復興の場に選び、今も住み続けながら津波に備える様々な知恵を編み出した。

 錦湾のすぐ近くで理髪店を営む吉田定士さん(77)が語る。

「津波の脅威は我々が一番よく知っている。元の場所に住むのだから、津波が来るという覚悟はいつもしているよ。家は流れてもいい、命さえあれば何とかなるという考えで、地震が来たらいつでも逃げられるように、自分たちでルールも作った」

 錦地区では、過去の経験を活かした独自の災害対策が確立されている。

「どの家庭でも、裏手に階段をつけたり、小道を通したりして、自宅から3分以内に山の高台などに作られた計20か所の避難所に辿り着けるようになっています。高台まで距離のある町の中心地には、津波の際に活用する避難塔として『錦タワー』を建設しました」(大紀町防災安全課・久世昌史係長)

 タワーの高さは、最高部の5階部分で海抜20メートル。対象地域人口の2倍以上となる500人が収容可能な避難スペースが設けられ、耐震構造はもちろん万全、流された船の衝突を想定して円筒状に設計されるなど、様々な工夫が施されている。

 住民の防災に対する意識も高い。

 町を歩くと、「海抜8.5M 津波の用心」といった、海抜表示があらゆる場所に記載されている。こうして普段から津波を意識させているほか、毎年12月7日の東南海地震の発生日には町全体で避難訓練が行なわれる。

 地震発生時には、気象庁の地震速報情報より早く、避難サイレンが鳴る仕組みも作られた。

 前出の久世係長はこう語る。

「担当の職員を常駐させ、震度4以上の地震が20秒続いた場合、無条件でサイレンのスイッチを押し、避難命令を出します」

 例えば、2004年9月5日、紀伊半島沖でM7.3の地震が発生した際にもサイレンが鳴り、深夜にもかかわらず住民の8割が、高齢者はほぼ100%が避難した。

 住民の心にあるのは、「自分の命は自分で守る」という意識だ。

「この町では、お互いが他人のことは放っておいてでも自己責任で逃げる。薄情に聞こえるかもしれませんが、昔の津波では家族を捜して亡くなった方も多かったんです。体験しているからこそわかることです」(港近くの食堂の女主人)

 常に津波というリスクと隣り合わせの「低地での復興」という道を選んだからこそ生まれた心構えだろう。 前出の吉田さんが語っていた言葉が印象的だった。

「当時は小学生すら総出で潰れた家の瓦を運んだり、死体を探して掘り起こした。終戦前後の混乱期だから、救援物資もないし、ボランティアもいない。皆自分たちでやったからこそ、元の場所にこうやって町を復興させることができたんです。

 私には、国のいう防災都市計画は絵に描いた餅に見える。東北の被災地の人たちも気の毒ですが、もっと自分たちで考え、身体を使って行動するしかない。人や国に助けを求めるだけでは、本当の復興はできないのではないでしょうか」


テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

放射能はいらない
『推進派はいつも自然も人工も放射線は同じだと言う、【成る程その通りだ。 しかし、問題は放射線ではなく、人工放射性核種は濃縮する事にあったのだ】 』
カレンダー
05 | 2018/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
プロフィール

kokikokiya

Author:kokikokiya
おれは、たぬきおやじじゃない 九州男児だ(大分県大分市)

転載はご自由に、すきにして。

良い国作ろう大分県、すべってころんで大分県。

カテゴリ
月別アーカイブ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
現在の閲覧者数:
FC2カウンター
リンク
最新記事
最新コメント
ツイッター