FC2ブログ

精神障害者を小屋に閉じ込め 闇に埋もれた「私宅監置」



引用 5/3(金) 12:00配信
 コンクリート造りで広さは5平方メートル。窓はなく、小屋の中と外をつなぐのは、壁に開けられた直径10センチ程度の穴五つと、食事の出し入れ口、そして排泄物(はいせつぶつ)を流し出す溝だけだ。出入り口は鉄の扉で閉ざされていたという。

精神障害があった富俊さんは、自宅敷地内に建てられたこの小屋に13年間閉じ込められていた。1950年代から60年代にかけてのことだ。

 当時は合法だった。「私宅監置」という制度で、日本本土では1950年まで、戦後米国統治下にあった沖縄では72年まで続いた。制度の廃止が遅かった沖縄には今も、かつて使われていた小屋が残る。

 富俊さんが閉じ込められた小屋は沖縄本島の北部にある。母屋からは10メートルほど離れ、さびた扉が小屋にもたれるように転がっていた。小屋に入ると、壁の穴を通して入る光はわずかで内部は暗い。穴から外をのぞくと見えたのは草と木だけだった。

 小屋を作った男性(92)に話を聞くことができた。富俊さんが大工をしていた頃の先輩だ。

 ある時、富俊さんが包丁を持って歩き回り、警察沙汰になった。男性は警察から依頼された通りに木製の小屋を作ったが、富俊さんが小屋を壊したため、コンクリートで作り直したという。

 富俊さんは入ることに抵抗したが、男性が「みなに迷惑がかかっている。ここで静養しなさい」と言うと従った。様子を見に行くと「寂しいから出して」と言われた。かわいそうに思ったが出せなかったという。

 富俊さんの弟(74)にも会えた。弟は、監置前は母親のえりをつかみ、揺すっていた姿を覚えていた。小屋に閉じ込めてからは話すことはなくなり、食事は母親が運んだ。母屋に叫び声が聞こえてくることもあり、「かわいそうだったが、8歳くらいの私には何もできなかった。近所にも同じような小屋があり、普通だと思うようになった」

 私宅監置は、家族が申請し行政の許可を得る仕組みだ。富俊さんもその手続きで「治安維持のために監置が必要」とされ、合法的に閉じ込められた。小屋での13年を経て、富俊さんは病院に入院。退院後は自宅や高齢者施設で暮らし、2017年に89歳で亡くなった。

 「医制八十年史」(旧厚生省発行)によると、1935年には全国で7千人超が監禁されていた。私宅監置に詳しい愛知県立大学の橋本明教授によると、申請理由の多くが治安維持や近所迷惑だったという。「ただ、監禁された人たちの具体的な様子を記録した資料はほとんどなく、語ることも避けられてきた」(橋本教授)

 こうしたなか、「何もしなければ当事者たちの尊厳が失われたままになってしまう。歴史の闇に消えてしまう」と危機感を募らせた人たちが、小屋の保存と私宅監置の歴史の継承に動き始めた。

 そのひとりが、沖縄在住でフリーランスのテレビディレクター原義和さん(49)だ。最初は県内で関係者に話を聞こうとしても、「なぜ過去の恥を」と反発されたが、徐々に口を開いてくれる人たちが現れたという。

 当事者の家族や、私宅監置に関わったことを今も悔やむ元保健所職員。そうした人たちが、かつてのことを振り返りつつ、投げかける。「障害者を排除する風潮は、過去のことなのでしょうか」

(山本恭介)

朝日新聞社

【関連記事】
窓ない小屋に13年、精神障害者「合法」で閉じ込められ
精神疾患のある子監禁 事件の背景・対策、専門家に聞く
消えたブルマー 中3女子の「はきたくない」に裁判官は
犬や猫、150匹処分したのに「殺処分ゼロ」?その訳は








これは図書館で借りて読んだ、ガストラックが眉唾で、モルヒネかなんらかの薬剤注射だと思うが、具体的な殺害方法はよくわかっていない。

間引きされたのは間違いないようだ、精神障害者の殺害は日本でもあったばかりだが、非常に深い問題で二度と起こらないような「歯止め」の方法が必要だが、あまり盛り上がった議論とはなっていない、憲法問題ではさすがに今日は盛り上がっているが。

「自分がされたくないことを、人にしてはいけない」

聖書や仏教やいろいろ十戒もあるが、いまのところこれしか「歯止め」はないのが私の見解 泣く



最近はこの問題もあって、むずかしい



「もうしてくれるな」という声が多い、わたしもその派になっているが


スポンサーサイト



テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

ニューヨークタイムズ1942年11月25日 カルスキの報告 Belzecでのガス処刑







グーグル翻訳引用

1942年11月25日、ニューヨークタイムズ紙。
2017年1月18日、University of London(UCL)のUniversity of London(UCL)で、Wojtek Rappak博士がヘブライ語およびユダヤ語の研究に発表した論文

この論文は、戦争中のアメリカのニュース報道の詳細を語るものと考えられるものから始めます:11月25日の10ページ
番目
 ニューヨークタイムズの1942年版
1
。このページには、ドイツが占領するヨーロッパ、特にポーランドでのユダヤ人の絶滅に関する3つの別々の報告が含まれています
2
。これらの3つの報告は、ナチス・ドイツが、ユダヤ人の組織的な大量殺人が犯されているという累積的な証拠の転換点を示すものと見なされる可能性があるため、詳細な説明です。 。この場合、3つの報告書は、完全に独立した情報源のように見えるものから来たものです。
ロンドンとラビ・ワイズのワシントンでの記者会見。 3つすべてが
ほとんどがポーランドでユダヤ人を根絶し、彼らが独立した出所から来たという事実は彼らの信頼性を強化し、それぞれ他の2人によって確認されます。私がここで議論することになる問題にとってまた重要なのは、それらがすべて同じ日付を持っているという事実です。11月24日番目、1942年。

これら3つの報告のうちの1つは私の研究に特に関連しています、それはロンドンのポーランド政府から来たものです、そして私が示すことを試みるとき、それはいくつかのものに基づいています
歴史家は後に「カルスキ報告書」と呼ぶようになった。
重要なこと、そして実際に無視することはほとんど不可能であることは、これらの3つの報告がNew York Timesのこの版の10ページにあるという事実です。特にそれらがまとめられるとき、彼らは前例のない犯罪が占領されたヨーロッパでナチス・ドイツによって犯されているというさらにもっと多くの証拠を提供します。何ヶ月も前から流れている類似したニュースの流れの最新の到着として取られて、3つのレポートはヨーロッパで展開しているユダヤ人の悲劇の本当の範囲の確かな確認と見なすことができます。しかし、10ページの掲載は、10ページのニュースのほうが10ページのニュースほど重要ではないという見解に基づく編集上の決定です
表紙。そしてここで、ニューヨークタイムズ紙が報じた方法のローレル・レフの分析
戦争中のホロコーストについては特に知覚的です。彼女の2005年の本では、
 時によって埋められる
、Leffは、ニューヨークタイムズ紙が指摘している
他の歴史家に続いて、「迫害とその後のヨーロッパのユダヤ人の絶滅」についての約1,200の物語を発表した、と彼女は同意する。
あれ
タイムズ
 戦争中のホロコースト事件の最も包括的なアメリカの報道を提供した。

重要なのは、そのようなニュースを省略することではなく、それらが掲載されたことでした。ほんのわずかな例外を除いて、それらはフロントページに載せられず、ユダヤ人の悲劇に関する報告は内部ページに「埋められ」ました。
11月25日
番目
 このエディションの好例です。ヨーロッパのユダヤ人の破壊に関する重要な3つのレポートが10ページに掲載されています。このエディションの1ページ目には、戦争のさまざまな戦闘ゾーンからのレポートが含まれています。しかし、Leffが指摘しているように、これが
タイムズ
戦争努力の最高の重要性と独特の人々の相対的な重要性の低さに関する論説
ユダヤ人の悲劇は「探究の始まりであって終わりではない」のです。
3
 戦争の努力とは無関係またはほとんど関係がない、あるいはユダヤ人とは関係がないという報告が頻繁に表紙に掲載されました。考慮するべき他の要因があります、
Leffは「信頼性の問題」を指します
反対のことを示しているにもかかわらず、安定した情報の流れを信じることができるだけでは、フロントページには十分ではないと考えられます。
4
 彼女はまた、の複雑な性格を調べます
 ニューヨーク・タイムズ
 出版者Arthur Sulzbergerは、18世紀後半にはすでにアメリカに移住したドイツ系ユダヤ人の子孫の興味深いアカウントを提供しています。 1890年代後半から新聞を所有していた家族の一員であったSulzbergerは、彼の新聞が決してあり得ないと決心したユダヤ人でした。
「ユダヤ人の」新聞であると非難された。 Leffは、「ユダヤ人の所有権は
タイムズ
 何が起こっているのか認識した
ヨーロッパのユダヤ人、それはまたそれを強調することを新聞をより躊躇しました」


プレースメントは、10ページの記事のようなニュース項目の信頼性と重要性についての社説上の判断を主張する重要な方法の1つです。プレースメントとは別に、フロントページと10ページの違いは、10ページには帰属があり、フロントページには事実があることを確認すると明らかになります。 10ページで、
 ニューヨーク・タイムズ
 ロンドンのポーランド政府によって報告が出されたこと、そしてエルサレムでは
難民は「情報」をもたらし、
ワシントンスティーブンワイズは、彼の国務省の情報源が彼に文書が
「駆除キャンペーン」
彼が与えられたものは信頼できるものです。 10ページのレポートは誰かが言ったことについて私たちに教えてくれます、フロントページのそれは何が起こっているかについて私たちに言います。フロントページには北アフリカと太平洋の戦いについての情報が掲載された事実の報告があります。チュニジアでの激しい戦い。ドイツ軍はリビアのEl Agheiliの方向に動いています。ソロモン諸島近くの太平洋でのアメリカ海軍の勝利。最も重要な報告書は、スターリングラードでの赤軍の成功について私たちに語っています。前日に15,000人のドイツ人が殺害され、12,000人が捕虜になりました。ドイツ軍はその弱い同盟国を残して露出位置から退却している、
「大衆の中で降伏する」ルーマニア人

アメリカが戦争に入ってからまだ1年は経っておらず、1年間の不確実性と敗北の後、潮流は連合国に向かっています。 ニューヨークタイムズ紙が11月25日に発表される2週間前
番目
  北アフリカのEl Alameinでのイギリスの勝利の直後に、チャーチルは彼の有名なスピーチをしました。
ロンドンのマンションハウス:「それは終わりの始まりではありませんが、それはおそらく始まりの終わりです」。
そしてスターリングラードからの報告は戦争でソビエトで最も重要な勝利の1つの始まりを示した出来事に言及します:1942年11月23日に赤軍はドイツ国防軍と一緒に戦ってルーマニア軍を破った後 スターリングラードで。 パウルス将軍が2月3日にドイツの降伏を合意するまで、囲い込みは着実に厳しくなった
第二
、1943年。


中略

New York Timesの記事では、「本日、ポーランド政府により発行された」というレポートについて読みました。
番目
  1942.この報告書のコピーはキューの国立公文書館の外務省のファイルにあり、1980年代初頭から歴史家によって研究されてきました。 マーティン・ギルバートは1981年にそれを言及しました、そして、彼はそれをそれとして言及するためにおそらく最初の歴史家です
「カルスキの報告」

11月25日(…)には、さらに別の報告がロンドンのユダヤ人指導者に届いた。 この新しい報告書は、
ワルシャワゲットー、そしてBelzecでのガス処刑。 それは目撃者によって、ポーランドからロンドンのポーランド亡命政府にもたらされました。
ユダヤ人 (…)11月25日の夜、ポーランド政府
手渡し
Karskiのレポートは、世界のイギリスのセクションの政治長官A. L. Eastermanに報告します
ユダヤ人の会議。 イースターマンはすぐに外務省に電話をかけた


ポーランドスパイのガス室報告がニューヨークタイムズに載ったということだが、翻訳がわかりにくいので、こちらを読むことにした。


シャーロック・ホームズのガス室
引用

ホロコースト研究者の多くはガス処刑説の分析を1942年春から始めており、ここでもその慣習に従うこととする[15]。われわれが関心を抱いているのは、一つ一つのガス処刑説が作られていくプロセスを記録することではなく、物語が作られていく過程で特徴的な変化が起こったことを記録することである。1942年、1943年そして1944年の夏頃まで、大量ガス処刑説のすべては根拠のない噂とみなさなくてはならない。だから、物語の進化を手短に概観してから、少し立ち止まって、どうして現実を反映しているとの仮定にあてはまらない噂が登場するにいたったかを説明しなくてはならない。このためには、一般的には真実ではないと考えられている、民族社会主義者の活動に関する少数の噂、すなわち、第二次大戦のなかで独自の生命を持っていた噂の存在を指摘しておかなくてはならないであろう。

ここで指摘しておかなくてはならないのは、1942年春にドイツの民族社会主義政府がヨーロッパのユダヤ人すべてをポーランドに、さらにもっと東に組織的に移送し始めたことである。この移送が残酷なものであり、富と財産の不正な強奪を伴っており、その中で、多くのユダヤ人が死にいたらしめられたことは否定できない。これは民族社会主義者によるユダヤ人迫害の一つであり、これについて、修正主義者にも非修正主義者にも異論はない。

また、戦争中に、数10万のユダヤ人がドイツの労働システム、とりわけ、軍需産業――強制収容所、その他の労働収容所からの労働力に依存していた――に強制的に引き込まれた、これらの収容所での死亡率は防疫措置と食料配給が崩壊した戦争末期にはとりわけ高かった、という議論もある。ここで問題となるのは、ポーランドやその後の東部地区への強制移送の過程で、ドイツの民族社会主義者が、とりわけ毒ガスを使って、意識的なユダヤ人絶滅政策を実行したのかどうかである。

しだいに広まっていった、ユダヤ人の大量ガス処刑に関する最初の説は、いわゆるブンド(在ポーランド・ユダヤ人労働者同盟)報告にある。それは1942年5月の第三週にロンドンの亡命ポーランド政府にこっそりと持ち込まれたものである[16]。報告は二つのガス処刑の噂を載せている。一つは、一度に90名をガス処刑する特別自動車(ガス室)が使われているというものである[17]。犠牲者はガス処刑される前に自分たちの墓を掘らされたというから、これは、ガス・トラック(犠牲者を埋葬地に運び、その途中で彼らはガスを吸入して死んだと考えられていた)というよりも移動可能なガス室であったのであろう[18]。第二の噂はワルシャワでの活動に関するものであった。ユダヤ人が毒ガス実験を受けたというのである[19]。

ブンド報告の方も、1942年春にワルシャワから発せられた少なくとも二つの文書から成り立っている。第一の文書は1942年3月16日付のワルシャワのユダヤ人労働者ブンドからの地下通信であり、西ポーランドでのドイツの活動を次のように描いている。



「多くの村で、ユダヤ人は毒ガスによって死に追いやられた。彼らはおそらしい方法で、ガス室に改造された密閉のトラックに集められた、50人ぐらいの家族集団で、まったく裸にされたままで・・・」[20]



そして、「毒ガス処刑」はウッジで実行されていると主張している[21]。ブンド報告のもととなった第二の文書は、ワルシャワ・ゲットーでユダヤ人抵抗派と協力派が内部抗争をしていた時期の1942年4月30日付けのDer Vekerの巻頭記事である[22]。この記事はブンド報告の犠牲者数のもととなっているが、興味深いことに、いずれの文書も死者の総数が70万とは述べていない[23]。1942年4月30日付のDer Vekerは詳細を述べることなく、毒ガス処刑の場所をチェルムノと特定しているが、注目すべきことに、3月16日の通信では、入浴(裸体の強制)とガス処刑が結びつけられていることである――もっとも、後述するように、二つの要素が虐殺を暗示するにあたって定番となるのは数ヶ月後のことであったが――。

亡命ポーランド国民会議のメンバーの二人はジギエルボイムとシュヴァルツバルトというユダヤ人であり、彼らは、数100マイル離れたドイツの軍事占領下にある同宗派の人々に何が起こっているのか、当然関心を抱いており、民衆の支持を集めるためにこのような風説を広めることにも関心を持っていた[24]。このために、ブンド報告はメディアを通じて広く普及した。

すでに、1942年6月24日、BBCがブンド報告を放送している[25]。翌日、『デイリー・テレグラフ』は報告に関する大きな記事を載せているが、その見出しは「ドイツによるポーランドでの70万人の殺害」、「移動ガス室」[26]というものであった。翌日、ジギエルボイムはBBC放送でブンド報告の内容を伝えた。これはイェディッシュ語であったから、明らかにポーランドのユダヤ人向けであった[27]。1週間のあいだに、BBCはポーランド国民会議と話をつけ、国民会議は、これ以後の虐殺物語を報道する優先権をBBCに与えた[28]。

1942年7月1日、Polish Fortnightly Reviewがブンド報告の風説にもとづく報告を発表し、ここで、特定の収容所すなわちソビボルとルブリン近郊のマイダネクの名をあげた[29]。さらに、アウシュヴィッツ労働収容所での虐殺をとりあげ、ここでは、約1000名のソ連軍とポーランド軍の捕虜が去年の9月にガス処刑されたと述べている。また、「パラディサルParadisal」という名のもう一つの収容所にも言及している。報告によると、その名前は「ここに、パラダイスに通じる唯一の道がある」ということにちなんでいるという[30]。また、この報告は、パラディサル収容所の焼却棟はアウシュヴィッツの焼却棟の5倍も大きく、毒ガス実験がおこなわれていると論じている[31]。アウシュヴィッツに関するPolish Fortnightly Reviewの記事はブンド報告にはなかったことを強調しておかなくてはならない。おそらく、もっと以前にロンドンに送られた報告によったのであろう[32]。

このような初期の説を眺めてみると、ガス処刑説が当時出されていた多くの絶滅説の中の一つにすぎないことは明らかである。さらに、ガス処刑説が組織的な絶滅手段というよりも、実験的な措置と思われていることも真実である。アウシュヴィッツに関しては、いくつかの驚くほど不正確な点がある。パラディサルはビルケナウのことを指しているに違いないが、ビルケナウに焼却棟が登場するのは翌年の春のことである。パラダイスへの道というパラディサルという単語も、のちにソビボルとトレブリンカの伝承の中に登場する「天国への道(Himmelfahrt)」 のもとになっているが、ビルケナウの歴史にはまったく存在しない[33]。

指摘しておかなくてはならないもう一つの重要なことは、ガス室の初期の物語が数多く登場するにあたって、BBCが、ポーランドに起源をもつ噂を流すのに大きな役割を果たし始めたことである[34]。ラジオ放送はフィードバック効果を持ち、ポーランド起源の噂を繰り返すことによってそれに権威を与え、それがポーランドにふたたび持ち込まれて、ポーランドで様々な話を生み出していった。これらの放送はその場限りのものであるかもしれないが、大量ガス処刑の噂を広め、普及させていった点でのラジオの役割は、十分な考慮に値する。

 1942年7月16日までに、ガス処刑の風説が『ニューズ・レビュー』で繰り返され、ドイツはポーランド系ユダヤ人を殺害する「大規模なガス・ステーション」を用意しているとされた[35]。報告は、ユダヤ人が「非睡眠薬」を投与され、「縛られたまま死んでいった」[36]と述べている。この報告は、今日われわれが理解している説に近いが、薬や犠牲者の縛り付けに言及しているように、ガス処刑は大量絶滅としてではなく、処刑の一つのかたちとされている。言い換えると、報告者はポーランドでのいわゆるガス処刑の手順をアメリカ合衆国での処刑手順になぞらえようとしているようである[37]。

その年の夏、二つの噂がジュネーブにある世界ユダヤ人会議のジュネーブ代表ゲルハルト・リーグナーに伝わった[38]。二つとも、ナチズムに敵意を抱いているドイツの民間人からのものであり、民族社会主義者政府が毒ガスの使用を準備していると述べていた。一つは「ガス・かまどを点火する」という定式に変形し[39]、もう一つは青酸あるいはシアンガス(Blausäur)の使用に特別に言及している[40]。この二つの噂が重要であるのは、第一に、それがドイツ起源であること、第二に、のちにシアンガスが絶滅の過程での基本的な「凶器」とみなされるようになったためである[41]。しかし、権威のあるBBCによるガス説のフィードバック効果を考えると、著名なドイツ人が伝えた噂がその他の噂と同じような効果を持っていなかったことは明らかであろう。この点で指摘しておかなくてはならないのは、同じ頃、ポーランドからの二人の「目撃者」がジュネーブでインタビューを受けたとき、二人とも、ポーランド系ユダヤ人の苦難については多くを述べているにもかかわらず、ガス絶滅についてはひとことも語っていないことである[42]。

BBCは9月末の27日にもう一つの放送を流した。トーマス・マンがドイツ語で放送し、ガス処刑説を繰り返して、16000名のフランス系ユダヤ人が、「密閉」されたトラックでガス処刑され、11000名のポーランド系ユダヤ人も同じような方法で殺されたと述べた[43]。これらの噂は当時のヨーロッパでも耳にされていた[44]。それゆえ、1942年秋に移送されたフランス系とオランダ系のユダヤ人のなかには、強制収容所での自分たちの運命に不安を抱く者も当然にいたことであろう。

大量ガス処刑説が進化するにあたっての次の重要なステップも、ポーランドからの資料、とくにヤン・カルスキの証言である。ポーランド情報部に属していた彼は、ベルゼクでの目撃者であったと主張し、彼の報告はソビボルとトレブリンカにも言及している[45]。ジュネーブのシオニストがこれらの様々な報告を編集し、ロンドンとニューヨークで同時に出版した[46]。これらの資料には、明らかに新しい二つの要素が加わっている。第一は、移送されたユダヤ人を石灰と塩素がまぶされたトラックに積むという記述である。これはのちに、塩素ガスによる絶滅説を生み出していく[47]。第二は、ベルゼクでの絶滅にかんする記述である。犠牲者は、シャワーを浴びるために服を脱ぐように命令され、部屋の中に入れられて、ついで、床の上の金属板によって電気処刑されるというのである[48]。1942年11月26日付の『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されたこれらの記事には、ドイツ人はユダヤ人の死者から「脂肪、石鹸、潤滑油」を作っており、「青酸が非常に高価であることがわかった」ために、ユダヤ人の静脈に泡を注射しているとのステファン・S・ヴァイゼというラビの話が付け加えられている[49]。

絶滅説のこのような展開はとくに内容豊かのようである。石灰と塩素は疫病対策に使われる標準的な材料であり、これについてはのちに詳しく検討する。ベルゼクでの絶滅の記述は二つの理由から注目に値する。第一に、「シャワー」が絶滅前のごまかしの要素としてはじめて登場している。もっとも、前述したように、二つの結びつきはこの話以前から存在していたけれども[50]。第二に、電気処刑説がもはや突拍子もない話ではなくなったことである(のちにはもっと念入りな話になっていくが)[51]。

最後の要素は石鹸説との関連で興味深い。最近数10年間で、責任ある研究者の全員がこの石鹸説を完全に放棄している[52]。死体利用説は第一次大戦中にドイツに対して流された虚偽の説と関連しているようであり、1942年でも、ある地域では広まっていた[53]。もう一つの点は、ドイツが1942年7月と10月にスロヴァキアとルブリンでこのような噂を鎮めようとしていると指摘する二つの文書があることである[54]。「石鹸製造」の噂は、もともとは、ユダヤ人とともに、ブク川右岸に再定住していたポーランド人のあいだで1941年に生まれたこともわかっている[55]。

1942年に様々な絶滅説が広まった結果、連合国の指導者は1942年12月17日に声明を発して、ドイツのやり方を非難した。ただし、その手順については言及していなかった[56]。

 1943年4月、虐殺に関する興味深いメモがロンドンで作成されたが、公表はされなかった。それはアウシュヴィッツ・ビルケナウでの絶滅活動を記述している。この匿名の文書では、銃殺以外に、三つの絶滅のかたちをあげている。



(a)ガス室。犠牲者は服を脱がされ、これらの部屋に入れられて窒息する。

(b)電気室。犠牲者は金属の壁をもつ部屋の中に入れられ、高電圧の電流が流される。

(c)いわゆる空気ハンマーシステム。特別な部屋のなかで、天井からハンマーが落ちて来て、特別設備によって犠牲者は空気の圧力によって死亡する[57]。



言うまでもないことだが、今日の絶滅説には(b)と(c)は入っていない。しかし、これらの二つの要素は、どのようにホロコースト説が生成・進化していったのかを示す実例である。電気室の記述はカルスキ報告に由来しており、ふたたび登場してくる。空気ハンマーシステムはもっと興味深い。この噂の要点はハンマーの落下という考え方である。ここではじめて登場してくるやり方は、のちにマウトハウゼン(ここでは「弾丸布告」があったとされている)およびザクセンハウゼン(ここでは、カルロス・ポルタルの皮肉な表現を使えば、「ペダルでこぐ頭脳破壊器」があり、84万のロシア軍捕虜を絶滅するために使われたという)での死の原形となる[58]。一方、空気圧力という要素は、1945年にちょっとだけ姿をあらわすトレブリンカのいわゆる「真空室」の原形であろう[59]。

この説には物的証拠、物理的証拠がまったくないので(これから検討するどの説にもこのような証拠がない)、この説のその後の進化を考えると、この噂が最初どのようにして生まれたのか不思議である。誰かが圧搾空気ハンマーを意味していると思われる(Hammerluft)という用語を選択して、それが途方もない憶測を生んだと考えるしかない。他方、戦争中、ドイツは低空飛行中の飛行機の胴体を貫いてしまうような高圧ジェットガスをつかった秘密兵器を開発しようとしていたことは興味深い。ここには、戦争捕虜やユダヤ人強制労働者もきっと関与していたことであろう[60]。この計画の噂がこの特異な絶滅説に変形していったのかもしれない。


バカバカしいほど切りがない 否定説が正しいと浮かび上がってくるばかりだ 笑い


1943年4月18日に作成された前述のメモは公表されなかった。当時最大の虐殺物語が、ドイツが暴露したばかりのカチンの森でのポーランド軍将校の虐殺であったからであろう[61]。この物語は単純である。1万以上のポーランド軍将校が1939年にソ連軍の手に落ち、それ以後消息を絶った。スターリングラードで第6軍が降服した直後の1943年2月、スモレンスクの近郊に駐屯していたドイツ軍は、ポーランド軍将校の大量埋葬地を発見した。ドイツは2ヶ月かけて、4400名の死体を発掘・分析した。独立ポーランド委員会も含む何人かの非ドイツ系の法医学の専門家も調査と検死に招かれた。その結果は300頁の報告書にまとめられ、将校たちは1940年春に組織的に虐殺されたと結論した。言い換えれば、それはソ連が実行した虐殺であったというのである[62]。

カチン事件はいくつかの理由で興味深い。第一に、最初、イギリスとアメリカは、同盟国が犯罪を犯した反駁できない証拠を突きつけられても、これがドイツの犯罪であるという立場をとった[63]。第二に、ドイツによる発掘と検死のやり方は徹底的かつ入念であった。ポーランド人も含む国際的な専門家が、あまり干渉を受けないで、自分の調査を進めることを許された[64]。第三に、ドイツの法医学的報告は、第二次大戦中に起こった虐殺の分析のなかでもっとも詳細なものであろう。他方、ドイツの虐殺に関する多くの風説に関しては、これに匹敵するような調査はまったくなされていない。

1943年5月、6月はガス処刑の噂が広く流れていた時期である。そして1943年7月、ソ連はおそらくカチンの告発に対処するために、クラスノダルで裁判を開き、「ガス・トラック」あるいはロシア人が呼ぶところの「ドゥシェグプキ」、「殺人トラック」を使ったガス処刑の件を自白したドイツ軍捕虜を登場させた[65]。しかし、いかなる「ガス・トラック」も発見されていないことをここで言っておかなくてはならない



テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

ナチ移動殺戮部隊 東欧での「ここでも、正常性バイアス」 なぜユダヤ人は逃げなかったのか?

ホロコースト正史派の大御所 ヒルバーグ
絶滅

正常性バイアス
絶滅2

逃げた人も大勢いたが、逃げずにとどまった
絶滅3


「そんな皆殺し虐殺など、ないだろう」と危険性が認識できなかった

1941年7月
絶滅4

1941年11月
絶滅5


ソ連西部に500万人のユダヤ人が住んでいた、ドイツ軍が席巻する領域に400万人が住んでいた、150万人がドイツ軍が来る前に逃げた。

最初の6か月間で50万人のユダヤ人が殺害された。


チェルノブイリ原発事故の勉強の時に、この因縁が怨念の話をする人はほとんどいなかった。
大量の死霊が徘徊していたのだった、だから現地へ行ったら、まずは慰霊が必要だった。
チェルノブイリ事故死放射能死ばかりではなかった。

日本人ではこういうことを知らないので浅い知識で終わる、さらに言えば、聖書を知らないと表面の知識だけで終わる。

「あなた(ユダヤ人)を祝福する者をわたしは祝福し、あなた(ユダヤ人)を呪うものをわたしは呪う」

「諸国の部族はあなたによって祝福される」




*なかなか崇高なブログになってきたのではないか、自画自賛





テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

絶対平和主義の平和ボケの人たちは、ルワンダの虐殺など見て見ぬふりで 今日もまた










ルワンダの平和維持軍削減を決めた国連安保理決議第912号を可決したのと同じ日に、ボスニア内における安全地帯防衛の堅持を確認した国連安保理決議第913号を通過させたことから、差別的観点からヨーロッパをアフリカよりも優先させたとの指摘がなされている

ボスニアのウソ




引用

世界は、ジェノサイドの危険性に十分気がつきながら、それを止める力を持ちながら、それでもルワンダを救わなかった

荒れ果てたルワンダを離れる直前にアメリカ人職員から聞いた台詞を、ダレールは忘れることができない。

"1人のアメリカ兵士の生命を危険にさらすことを正当化するためには85,000人のルワンダ人の命が必要だ"

このアメリカ人を人種差別的であると非難することは容易い。しかし、







「盲目か読み書きができないのでないかぎり、ルワンダで何が起こっているかについて皆知っていた」のだ。知っていて、無関心でいることを選んだ世界は、この経験から何を学ぶことができるだろうか

ダレールは戦況を報告していたし戦地の中心にBBCをはじめとする報道機関はこのニュースを発信していた

ルワンダから帰国してからもずっと、ダレールは自らに問い続けている。なぜ、我々はこの悲劇を止めることができなかったのか。人間の命は平等ではないのか。虐殺を主導した指導者達を、法を犯してでも事前に射殺すべきだったのか

我々はこれからも、無関心で居続けるのか
先ずは地獄を見た男の声に耳








冷たい令和の平和ボケで見て見ぬふりで今日もまた生きて逝くのか😭

ルワンダで何が起こっているかについて皆知っていた」のだ。知っていて、無関心でいることを選んだ世界は、この経験から何を学ぶことができるだろうか





『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか』 
『なぜ、世界はカンボジアを救えなかったのか』




かねで忙しかったから


嫌なものは見ないふりS


ふとしたことから、ホロコースト問題に踏み込んだので、骨が出てくる場面が大幅に増えた。

お彼岸以来、我がご先祖さまの骨の検証も必要なのを忘れないようにしなければならない、ふたを開けて骨が入っているのかどうかも、多すぎたら合葬して「先祖代々」でまとめてしまおうかと思う。


骨壺


テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

ここまでのホロコースト解析でわかったこと

ここまでのホロコースト解析でわかったこと

ガスで殺したばかり言ってその根本の差別と言う問題にまで踏み込めない
ユダヤかわいそ差別が逆にドイツを差別し疑問を抱く人をまた差別し
最後に、パレスチナを虐殺する

ここまでのホロコースト解析でわかったこと2

ガス室は無かったからホロコーストも無かった しかしその根底の民族差別や障害者差別はあった
ホロコースト批判論者を差別し法でも差別するばかりで、体制迎合派が差別主義者となっていることに誰も気が付かない
だから差別問題の解明が進まない

ここまでのホロコースト解析でわかったこと3

差別問題を解明しない限り抑止力が生まれないので相模原事件やNZ事件が次々世界中で発生し、韓国中国ウイグルその他も少しも片付かない
ホロコースト無批判受け入れ大衆が多いから、今後も無理だと思う
つまりは、原点足元を見つめて反省が無い輩では無理



ユダウソ

イラクシリアでのウソ
バナイラのウソ


ハンブルクの判事ヴィルヘルム・シュテークリヒ博士の浩瀚な研究書『アウシュヴィッツの神話』
シュテークリヒが1950年代に博士号を得たゲッティンゲン大学は、没収判決にもとづいて、彼の学位の無効を決定したのです。これは、1939年にヒトラーが出した学位に関するドイツ法第4条を適用したものでした

ナチス時代の法律が今日でも有効なのですか?

R:そのとおりです。この法律の第4条は、「学術的尊厳を欠いた」場合には、学位を無効とすることを認めています

ホロコーストよりもこちらの方がおおごとではないか😠😭
今でもナチスの法律が生きているとは
ナチスの法律がホロコースト批判書を発禁にするおおいなる歴史的皮肉とは
ドイツ人も結構バカなのだな
オレよりもバカかな😁😁😁



テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

ナチスから迫害された障害者たち






















ガスで殺して引き摺って焼く
これは素人が考えても無理
毒殺の方が簡単😡

テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

ホロコーストガス室にだまされ、早野ガラスバッジにも騙され続ける人たち 21世紀の哀れ

高須ネトウヨ「ホロコーストはなかった」発言から盛り上がった「ガス室はなかった」を再度研究していたこの3日間だった。
資料データは相当に集めたが、ブログ記事にするのに最も簡潔にわかりやすく説明できる信ぴょう性のあるものはないかと思いつつ、ブログ書きをさぼっていたが、決定打が見つかったので書くことにした。



引用
『夜と霧』の原書は前述の通り1946年、オーストリアのウィーンで出版された。
著者はヴィクトール・フランクルというユダヤ人精神科医で、1942年から1945年までドイツ軍によって強制収容所に収容されていた。
その際の経験をもとに書かれたのがこの本である。

「一心理学者の強制収容所体験」というタイトルに少しその雰囲気を漂わせているが、フランクル自体は本書をあくまで「一心理学者」の体験として出版したいと考えていたようだ。
実際、1946年に出版された原書初版の表紙には、著者名が書かれていない。表紙をめくり、その次のページにフランクルの名前が登場する。

また、出版後の注目度は高くなかった。
『夜と霧』を追いかけた河原理子氏のノンフィクション『フランクル「夜と霧」への旅』(朝日文庫)によれば、売れずに2刷で絶版扱いになっていたという。

世界的ベストセラーの第一歩は実は「日本でのヒット」である

1956年、みすず書房から『夜と霧』というタイトルで出版された本書は、新聞の書評などを中心に絶賛を浴びた。また、みすず書房のセンセーショナルな文句による書籍広告も功を奏したと、守田氏は語る。

「当時の資料を見ると、遠藤周作なんかは『フランクルの意図と本の作りが違うのではないか』というまっとうな指摘をしていますが(笑)、多くの書評においてこの本は受け入れられました。
みすず書房が出した新聞広告を見ると、『ナチの強制収容所に一家ひとくるみ囚えられ、両親妻子ことごとくガスかまどで殺されつつ…』とセンセーショナルに書かれているんだけど、当時彼に子どもはいなかったし、両親がガス室で…というのも嘘でね。当時はこういう衝撃的な文句で広告を出していたんです」


『ナチの強制収容所に一家ひとくるみ囚えられ、両親妻子ことごとくガスかまどで殺されつつ…』とセンセーショナルに書かれているんだけど、当時彼に子どもはいなかったし、両親がガス室で…というのも嘘でね。当時はこういう衝撃的な文句で広告を出していたんです


しかし、どうしてオーストリアで絶版になっていた本が、出版から約10年後に日本で発行されることになったのだろうか。

そこに尽力したのが旧版の翻訳者であった臨床心理学者の霜山徳爾氏であった。

『フランクル「夜と霧」への旅』によれば、霜山氏は西ドイツ留学中の1953年にこの本をたまたま見つけ、深い感銘を受けてウィーンのフランクルを訪ねた、とある。
そして河原氏は「霜山は、単に『夜と霧』の最初の翻訳者というより、彼こそが、この本をみつけて日本に伝えた人なのだ」(『フランクル「夜と霧」への旅』p.41より引用)とつづっている。

当時は「アウシュヴィッツ」も「ホロコースト」も一部の人間しか知らないような時代であったが、霜山氏は帰国後、翻訳書をみすず書房に持ち込むと、当時の編集長だった小尾俊人氏が衝撃を受け、「この事実を世に送り出そう」ということから出版に至ったという。

旧版『夜と霧』の冒頭にある「出版者の序」には次のように書かれている。

我々がこの編集に当って痛切だったのは、かかる悲惨を知る必要があるのだろうか? という問いである。しかし事態の客観的理解への要請が、これに答えた。自己反省を持つ人にあたっては「知ることは超えることである」ということを信じたい。そして、ふたたびかかる悲劇への道を、我々の日常の政治的決意の表現によって、閉ざさねばならないと思う。 (『夜と霧』p.2-3より引用)

『夜と霧』は告発する本ではない。「読者が正しく読み、イメージを変えていった」
「出版者の序」に書かれている「知ることは超えることである」という言葉は、『夜と霧』という本が、強制収容所やホロコーストを「告発する」側面を持っていることを暗に示している。

しかし、そうした出版社の意図とは裏腹に、『夜と霧』は思わぬ読まれ方をされることになる。
守田氏は次のように話す。

「みすず書房は1000万人を虐殺した大殺人工場の実態というようなセンセーショナルな広告で出したし、最初はそういう形で受け止められたようです。でも、今はまったく違う、人生論の本として読まれているように思います。それは読者自身が本のイメージを変えていったのです」

読者が本のイメージを変えていった――



「世界的なベストセラーといわれていますが、実はメインで売れているのは日本とアメリカです。ドイツでもある程度読まれているけれど、やはり日本語版と英語版。そして共通しているのがタイトルです」

英語版のタイトルははじめ、“From Death-Camp to Existentialism”、直訳すると「死のキャンプから実存主義へ」というものだった。 しかしさっぱり売れなかったようだと守田氏は語る。

「そこから“Man’s Search For Meaning”(生きる意味を探す)というタイトルに変わったところ、アメリカでベストセラーになった。フランス語版はこの英語版のタイトルをフランス語に訳して付けています。
日本語訳の『夜と霧』も、フランクルが付けたタイトルとは違います。しかし、これが非常に売れた」

「『夜と霧』の読者カードの特徴は、感想をびっしりと書いてくる人が多いということです。おそらく、書かせる力があるのでしょう。それも老若男女もれなく、です。幅広い層の読者が返事をくれる。親子三世代で読んでくれている人もいます。この本をきっかけに、強固な家族関係を築いているという方々もいるかもしれませんね(笑)」

-------------------------------------------------

永遠のロングセラーはどう生まれたか 「ホロコーストのガス室でこんなにひどいことが、、、

実は連合国のデマだった。

オレの子供の頃は「シャワーからガスがあああ、ぎゃあああ、もだえ苦しんで、、」がまずは定番で怖かったが、実際はダッハウ収容所のシャワーからはガスは出なくて絶滅収容所でもなく、「ガス室はなかった」が公的に証明された。
ポーランドのアウシュヴィッツではなくドイツ国内の米軍が解放したダッハウ収容所

殺人ガスシャワー

アンネフランクが収容されたのが、アウシュビッツなのかダッハウなのかベルゲンベルゼンなのかなどなど
予備知識や地図情報や第二次大戦の背景やソ連共産化やユダヤタルムードや欧州根強いユダヤ差別やシオニズムからいまのように、

パレスチナいじめ

こういう風にいろいろ背景知識が必要になって来るので説明が大変にもなるし、純真無垢な人たちはすぐにだまされて泣くばかりだし


ホロコーストのウソ2

ユダヤ人生き残り証言で、ガスで死ぬ間際にイスラエル国歌を歌った、それがそとの別の宿舎に深夜聞こえて切なかったなどと

「ほんまいかいな?」のデタラメ  シオニズム万歳があとで動画の後編に出てくるので役者を使ったデマ証言だろうとハリウッドドラマと考えざるを得ないようなことが、上の記事とともに理解できる。


お客様は、2010/8/12にこの商品を注文しました
アウシュウィッツ「ガス室」の真実―本当の悲劇は何だったのか? 単行本 – 1997/6
西岡 昌紀


本当の悲劇は、多くの人がすっかり騙されていたこと





12円の古本があったのでオレが速攻で発注しておいた 笑い

結局は、宣伝だった それもウソばかり


以上、簡潔に「ガス室のウソ」を書いたが、詳細編も必要となろうからまた書いておくことにする。

さんざん福島事故でだまされて目覚めたはずが、世紀の大ウソ「ホロコースト ユダヤ絶滅収容所」のおかしさに気が付かないとは、やはり「新ヒバクシャ」なのか?




テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

放射能はいらない
『推進派はいつも自然も人工も放射線は同じだと言う、【成る程その通りだ。 しかし、問題は放射線ではなく、人工放射性核種は濃縮する事にあったのだ】 』
カレンダー
02 | 2020/03 | 04
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール

kokikokiya

Author:kokikokiya
おれは、たぬきおやじじゃない 九州男児だ(大分県大分市)

転載はご自由に、すきにして。

良い国作ろう大分県、すべってころんで大分県。

カテゴリ
月別アーカイブ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
現在の閲覧者数:
FC2カウンター
リンク
最新記事
最新コメント
ツイッター