なぜ今頃池田元久は菅に罪をなすりつけているのか?「怒鳴り声ばかり」震災直後の菅前首相の言動とは

「怒鳴り声ばかり」震災直後の菅前首相の言動とは
転載 産経新聞 2011/12/24 00:22
東京電力福島第1原発事故直後、政府の現地対策本部長を務めた池田元久前経済産業副大臣は、3月11日の事故発生から5日間を記した覚書を明らかにした。菅直人首相(当時)が原発視察に訪れた際、周囲に怒鳴り散らした様子などが生々しく記録されている。池田氏は産経新聞の取材に「現地対策本部がどう対応し、考えたか。ありのままを記録にとどめた」と語った。

12日午前4時すぎ、菅氏の原発視察の連絡が入った。覚書は当時の池田氏の違和感をこう伝える。

 「こうした災害では人々の生存の可能性が高い初動の72時間が、決定的に重要だ。指揮官は本部(首相官邸)にとどまって対応にあたるべきだ…」

 原発に到着してバスに乗り込んだ菅氏は、隣に座った東電の武藤栄副社長(同)を攻め立てた。覚書には「初めから詰問調であった。『なぜベント(排気)をやらないのか』という趣旨だったと思う。怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばにいてもよく分からなかった」と記されている。

 「何のために俺がここに来たと思っているのか!」

 菅氏は免震重要棟に入ると夜勤明けの作業員が大勢いる前で怒声を上げた。池田氏は「これはまずい。一般作業員の前で言うとは…」と感じた。

 2階の会議室でも、菅氏は第1原発のベント実施を求めて出席者に厳しく問い詰めた。吉田昌郎所長(同)は「決死隊をつくってでもやります」。菅氏の口調は、東電側にだけでなく、福島県の内堀雅雄副知事や班目春樹原子力安全委員長にも厳しかった。

 菅氏の振る舞いを見た池田氏は同行した寺田学首相補佐官(同)に「首相を落ち着かせてくれ」と頼み、同席した関係者に「不快な思いをさせてしまった」と陳謝したという。

 当時を「戦場の指揮官のような心境だった」と振り返る池田氏は、最高指揮官だった菅氏の言動について「僕もあきれた」と述懐する。覚書には「指導者の資質を考えざるを得なかった。指導者は短い時間であっても沈思黙考することが大事だ。大局観をもって事にあたらなければならない」と記している。

原子力安全・保安院などの対応については「冷戦後いわれたデタント(緊張緩和)ぼけに陥っていた」「何となく原子力安全神話のムードに包まれていた」と指摘している。

 池田氏は5月19日に体調を崩して入院したが、菅氏は国会で追及されるまでこの事実を公表せず、10日間以上も現地対策本部長が不在となった。7月には菅氏は池田氏を経産副大臣から更迭し、中山義活政務官を昇格させようとしたが、国対の反対で撤回している。



池田元久
http://www.m-ikeda.com/


池田元久が逃げたとかトンズラとか何のことか調べてみたまとめ
転載
きっかけは、
急上昇ワードに
「池田元久」が
ランクインしていたということです。

池田元久が何をやっているのかも
知りませんでした。
※恥ずかしながら全ての議員を暗記しておりません

しかし、
Googleの検索窓に
「池田元久」と入れると
suggestionで
「池田元久 逃げた」
「池田元久 トンズラ」
と出てくるので気になって調べてみました。

まず、私が事実と認識している事象ですが
以前に東京電力福島第1原発事故で
現地対策本部長であるはずの池田元久が
体調不良で不在のまま10日近く経過し、
しかもその事実を政府が公表せず
衆院復興特別委員会で明らかになり
批判された。という話があります。

そして今日聞いたのが
森まさこ議員が
「私が予算委員会(6月3日)で指摘しましたように、
(中略)10キロの地点に子供たちがいたんです。
(中略)現地にそのときにいたのは池田元久副大臣。
池田元久副大臣が先に逃げたことを知っています。
ここに子供たちを置き去りにして、
それよりも遠くの60キロ地点まで逃げ出しました。」
と指摘したとのこと

これに対する池田元久の反論が

3月14日夜、原子炉の状況が深刻になったことから、
本部と協議し、本部の判断で(福島市に)
移転することになりました。
住民はその時点ですでに
(第1原発から20キロ圏外の)避難区域外へ
避難が完了しているとはいえ
(中略)翌日午前中、区域内を捜索しました

重症のお年寄り96人が居ることが判明し、
直ちに自衛隊車で区域外に移動してもらいました。
この状況を見届けた上、15日正午に現地対策本部の各班が
車列を組んで福島県庁へ出発しました。
『私が先に逃げた』とは何を根拠にいうのでしょうか。

※立派な反論です、さてここでこんな情報が

20キロ圏内の浪江町で、酪農を営んでいた男性(43)。
「池田元久が『住民の避難が完了していた』というのはおかしい。
15日の時点で、浪江町では国からも県からも
何の連絡もないまま、私が見ただけで
子供も含む50人以上の町民が取り残されていた。
南相馬市の小高区でも、ほとんどの住民が
残っていたことを確認しています。
20キロ圏内すべての住民の避難を見届けたなど、あり得ない」

同じく、浪江町内の地域センターで
避難者の世話をしていた消防団員の男性(45)
「当時1000人ほどの町民が避難していましたが、
二本松市への移動が完了したのは16日の話。
その間、携帯もつながらず、
国も県も何の手助けもしてくれなかった。
15日正午の時点でも、400-500人は残っていた。
池田氏の主張には無理がある」

要点をまとめます
・森まさこ「池田元久は町民を置いて逃げた」
・池田元久「私は町民を先に逃がした」
・町民1「池田元久は町民を置いて逃げた」
・町民2「池田元久は町民を置いて逃げた」
これは簡単な推理ですね。
ちなみに上記の町民インタビューはフジの取材、
フジは池田元久にこの事実を突きつけたが
ノーコメントを貫いている。

彼が震災直後に、逃げた逃げない真実がどうあれ
その後の5月頃に体調不良で消えてて
国民になにも伝えなかったのは事実だけどね。


原発からトンズラ 池田元久経産副大臣 (神奈川県第6区!) の “便利” な胃潰瘍 (ゲンダイネット)




0:36:25から池田が逃げた問題のやりとり


ほとぼりが冷めた頃を見計らって、池田元久が罪を逃れるために、菅を持ち出してきたということか。

しかし今になって考えると、メルトダウンして水素ガスが発生しているのだから、一刻も早くガス抜きのベントをしていたら、爆発はなかった、2号機は運よく穴があいて爆発しなかった。

菅がやかましく「なぜベントしないのか?」と東電にせまったのは、正しい判断だったのだ。

放射能を出したら、その後の原発推進、海外輸出も不利になると思っていた、東電、経産省保安院、原子力安全委員会、その他の多くの原子力ムラの連中の飯の食いあげを恐れたのだろう。

またぞろ菅を血祭りにして、原子力ムラの温存を図るために、池田元久に情報を垂れ流させたのだろう。

ヤフーニュースの元が産経という原発推進新聞が、証明している。



池田前経産副大臣、震災発生5日間の記録 菅前首相、あきれた言動

産経新聞 12月24日(土)7時55分配信

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テーマ : 「原発」は本当に必要なのか
ジャンル : 政治・経済

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『推進派はいつも自然も人工も放射線は同じだと言う、【成る程その通りだ。 しかし、問題は放射線ではなく、人工放射性核種は濃縮する事にあったのだ】 』
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